Je suis Charlie

2015年2月26日 (木)

【シャルリー】イスラム教関連の表紙は10年でたったの1%!

待ちに待ったシャルリー1179号が昨日発売されました!


前回の700万部には及びませんが、今回も怒涛の250万部を発行。シャルリー・エブドとしては、10万部くらいで落ち着いてくれるほうが有難いはずですが、まだまだ人々の興味が薄れる様子はありません。


バカンス中だというのに、昨日7時起きでキオスクに急いだ旦那さんは、3軒目でやっと最新号を入手。







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表紙を担当したのは、前回と同じ風刺画家、LUZ(リューズ)。


真っ赤な背景色の上で、犬に扮した①サルコジ前大統領、②マリーヌ・ルペン極右政党党首、③イスラム国戦闘員、④ローマ法王、⑤銀行員、⑥同性愛者の結婚などに反対するデモの参加者、⑦ユダヤ人 等々がシャルリー・エブドを加えた犬を追いかけています。


絵のタイトルは「...c'est reparti !」。日本のメディアは「再開だ!」と訳しているところもありますが、「さぁ再出発!」というほうがしっくりきます。


というのも、前回の1178号は、事件直後の混乱の中で勢いで出した・・・いや出たものの、今回は様々な葛藤の末に作り上げた、事実上の再出発を象徴する号だからです。


シャルリー・エブドに編集室を提供し、今週号発売までの特集記事を1面から6面までに掲載した、リベラシオン紙 ↓ によると、







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前代未聞の売り上げに戸惑い、未だ癒えぬ心身の傷と向き合いながら、6ヶ月以上の休刊や廃刊を考えたメンバーもいたといいます。


特に、テロ以来編集長を担っているRiss(リス)は、肩に受けた傷の痛みが残っていて思うように絵が描けないどころか、今もテロリストがとどめを刺しに来る夢をみるそうです。



それでも続けることにしたのは、ここで長く休んだり廃刊にすることは、犠牲になった風刺画家たちが持ち続けてきた硬い意思に反することであり、1万人から22万人に増えた定期購読者に申し訳ないから。


LUZの描いた表紙にはこれまでシャルリー・エブドが描いてきた代表的な登場人物が集まっていて、「これまで通り続けよう」というシャルリー・エブドの決意が読み取れます。ここで無視してはならないのが・・・


①サルコジと②マリーヌ・ルペンに扮した犬が先頭を走っていること!



これが意味するのは、シャルリー・エブドの主役は誰がなんと言おうと国内の政治家であり、権力者を標的にすることが基本ですよ、ということ。


昨日の新聞「Aujourd'hui en France」の関連記事 ↓ に、こんな数字が載っていました。







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シャルリー・エブドのここ10年の523枚の表紙を調べた結果・・・


イスラム教関連の絵を載せた表紙はたったの7枚、全体で見るとわずか1,3%だということがわかったのです!!!


更に、全宗教をひっくるめても、表紙に宗教関連の絵が載ったのは523枚中38枚だけ!


一方、最も多いテーマは政治で、523枚中、なんと336枚が政治関連の表紙でした。


こうしてみてみると、シャルリー・エブドがイスラム教、ひいてはムハンマドに執着しているというのは大きな誤りで、他の同業者などが勝手に作り上げた事実無根のイメージに他ならないことがよくわかります。


この調査をした社会学者は言います。


「理解しなければならないのは、なぜシャルリー・エブドがイスラム差別をしているのかではなく、なぜイスラム過激派だけが自分たちの宗教を揶揄する新聞を抑圧しようとしているのかということ」


ムハンマドに執着しているのは、シャルリー・エブドではありません。それは、シャルリー・エブドを敵だと思い込んでいるテロリストを始めとするイスラム教徒、そしてシャルリーエブドを差別主義者に仕立て上げたい人たちなのです。


朝日新聞は今回の表紙について「預言者の姿は見当たらない」と、誤解を助長することを書いています。上記の表紙の統計をみれば、この先ムハンマドが表紙に出てくる可能性は限りなく低いわけですが、これからもムハンマドが描かれないたびに「今回も見当たらない」と言い続けるつもりなのでしょうか?

http://www.asahi.com/articles/ASH2S0G23H2RUHBI02X.html


私個人としては、今回の表紙で追いかけている犬の中に、日本のジャーナリストも加えて欲しかった。



そうでなければ、風刺画について「まずもって自国の政治家にやるべきであって」とか言っちゃった宮崎駿氏を登場させて欲しかった。



この表紙の中で一連のメディアの動きを象徴しているのが、ローマ法王の頭上にある「BFM」と書かれたマイク。


BFMとはBFMTVというフランスのニュースチャンネルのことで、テロ以来好き勝手なことを言い振りまわって、シャルリーをネタにし続ける同業者を代表する存在です。(すべてのメディアを揶揄する意味もあるので、ここに日本のメディアも含まれているということにしておこう・・・)。


そして、本来なら最後尾で“ネタ”を追いかけるはずのシャルリー・エブドが、追いかけられているという構図も、今のシャルリー・エブドやメンバーの気持ちをうまく描写していると思います。


一ヵ月半かけて出すに至った最新号。考え抜いた末にこれまでと変わらない方針で続けることにしたシャルリー・エブドの面々に、一読者として心から拍手を送りたいです。














2015年2月22日 (日)

拝啓 宮崎駿 様

拝啓 宮崎駿 様


フランスの多くのメディアや観客が最高傑作と評価した「風立ちぬ」に感動してから、早一年。まさかこのテーマであなたに反論する日が来るとは、夢にも思っていませんでした。


2月16日、貴方はあるラジオ番組で風刺画についてこのように述べました。


異質の文明に対して、崇拝しているものをカリカチュア(風刺画)の対象にするのは間違いだ

まずもって自国の政治家にやるべきであって、他国の政治家にやるのはうさんくさくなるだけ


http://www.47news.jp/CN/201502/CN2015021601002233.html


貴方の口からこのような発言が出るとは信じがたく、他のニュースサイトの関連記事をすべて確認しましたが、それは紛れもない事実でした。


その後、フランスの大手メディアがあなたの発言に関するネット記事を掲載したところ、大反響を呼びました。ル・フィガロ紙の記事には100件以上のコメントがつくなど、宮崎ファンを始めとする多くのフランス人が関連記事に殺到したのです。


http://www.lefigaro.fr/culture/2015/02/18/03004-20150218ARTFIG00097-hayao-miyazaki-contre-les-caricatures-de-charlie-hebdo.php


フランスにおいてアニメの、いや映画界の巨匠としての地位を確立している貴方の発言が、人々の興味を引くのは当然のことかもしれません。


ただし、今回に限っては、内容に疑問を持った人が少なくなかったということが、物議を醸している最大の理由だと言えます。


発言のどこがどう問題なのか、おこがましいとは思いつつも私なりに説明したいと思います。


まずは2つ目の発言から。


まずもって自国の政治家にやるべきであって・・・


これは事実誤認です。なぜならフランスの風刺画家は 貴方に指摘される何世紀も前から、「自国の政治家(権力者)」を風刺の対象にしてきたからです。今も昔も、自国の政治家がなによりの標的であり、風刺画の原点はここにあります。


それをまるでフランスの風刺画が、自国のことはさておき他文明だけを対象にしているかのような物言いは、それらがフランス人に受け入れられないどころか、貴方が風刺画について何も知らないのではないかという疑いまで生じさせてしまいます。


そしてそれに続く表現、


他国の政治家にやるのはうさんくさくなるだけ


この発言も、このグローバルな時代に、ましてやテロの脅威が国境を越えてやってくる時代に、お世辞にも相応しいとは言えません。特にヨーロッパの大多数の国はEUに加盟していて、近隣国の政治は自国のそれと同じくらい重要視されています。EUで決定されることを「他国の政治家が関わっているから」と批判しないメディアは皆無でしょう。


次に、多くのアンチ・シャルリーを代表しているかのようなこの発言、


異質の文明に対して、崇拝しているものをカリカチュア(風刺画)の対象にするのは間違いだ」


これも、「異質の文明」にイスラム教を含むのであれば、貴方がフランスの現状に精通していないからこそ言えたと思われても仕方ありません。なぜならイスラム教は現在のフランスでは異質ではなくなりつつあるからです。


偶然にも、一昨日の地方新聞にこのような記事が掲載されました。





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フランシュ・コンテ地方出身の19歳のフランス人が、先週、イラクで自爆テロを起こして死亡していたという内容です。(写真右:彼の両親提供 写真左:イスラム国が彼の死を伝えるために使用)


彼は、イスラム教とは全く縁のないフランス人の両親のもとに生まれました。義務教育の課程では一切の問題も起こしたことのない彼の様子が変わり始めたのが、高校2年生の頃。自宅から最も近いモスクに通うようになり、両親の知らない間にイスラム教に改宗。2013年10月、「心配しないで」という一枚のメモだけを残してシリアに向かいました。


彼の変貌は決して特異な例ではありません。イスラム国に所属する欧州人でもっとも多いのがフランス人(1000人以上=外国人戦闘員の3分の1)だと言われていて、その内訳には、移民系フランス人もさることながら、幼少期にはイスラム教とは全く関係のなかったフランス人たちも相当数含まれています。


自爆テロで死亡した19歳の少年の両親は言います。「これは誰にでも起きうることです」


彼らが仄めかす通り、フランスではイスラム教はすでに自国の問題となっています。イスラム教徒の移民が増え続け、フランス国籍を持つ2世、3世もイスラム教徒である現状に加えて、国民の一部がイスラム教を通してテロリストになっている。それらを前にして「異質の文明」などと呑気なことを言っていられるでしょうか。


テロが起きるまで、フランス政府はこの現状にはあまり触れないようにしてきました。そんな中で、警鐘を鳴らしていたのがシャルリー・エブドなのです。


風刺画は、当然笑いをとることを一番の目的としています。だから見た目はふざけた絵に見えることがあります。でも、ジャーナリストでもある彼らが人を馬鹿にするためだけに描いていると解釈するのは、大きな間違いです。


彼らの絵には必ず隠された意図があるわけですが、残念ながら、風刺画の見方を知らない人には、そういう意図があることさえ理解されません。今回のテロは、風刺画の見方を知らないテロリストが誤解して引き起こしたと言っても過言ではないのです。


生き残った風刺画家は今後もムハンマドを描き続けます。


それは挑発を目的としているのではなく、自国とイスラム教(ムハンマドの教え)があまりにも密接になっていて、描かざるを得ないからです。


風刺画は報道の一つ、メディアの一つであり、一部の人々に誤解されたり不快感を与えるからと言って事実を伝えないことは自粛を意味します。彼らが表現の自由を象徴していると言われるのは、そういうことなのです。


これらのことを踏まえ、宮崎氏にはもう一度、風刺画について考え直していただきたい、それが同じ表現者である貴方の使命であると思う次第です。



 










・・・と書いてみましたが、宮崎氏本人がこのブログを訪れる可能性はゼロに近いため、これとほぼ同じ内容の手紙をジブリ宛てに送ろうと思っています。









追記:2015年3月10日、同記事がネット新聞・日刊ベリタに転載されました。

http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201503102218542








2015年2月11日 (水)

不可解な風刺画掲載本

噂には聞いていたけれど、本当に出る(出た?)らしい・・・


http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/tbs-20150210-23436/1.htm


http://getnews.jp/archives/811275


これらの記事によると↑第三書館という東京の出版社が、<シャルリー・エブドの風刺画など48点を掲載した書籍>を出版することになったという。

本の題名は「イスラム・ヘイトか、風刺か」。A5判64ページで、日本語の翻訳や解説を付けたシャルリエブドの風刺画を中心に48点を収録。イスラム教徒に配慮し、預言者ムハンマドの顔にはモザイクをかけている

巻頭で<「風刺の持つウイットもユーモアの香りも感じられない」と批判。

出版社側は「風刺画がどんな意味を持っているのか、日本の皆さんに知っていただくのが最大の目的だ。」とコメント。


・・・


これは誰のための本なのだろう?


この本を実際に読んだわけではないけれど、これらの記事をもとに感じたことを言いたい。


まず、モザイクをかけた風刺画が読者に理解されるわけがない。絵をしっかり見てこその風刺画なのに、読者に絵を想像させるなんて的外れにもほどがある。


そして、巻頭で風刺画を批判した上で解説することは、読者に考える余地を与えない誘導尋問と同じで、風刺画の理解を深めようとする意思はないに等しいと思われても仕方がない。最初に結論を述べてしまっているので、タイトルもあってないようなものだ。


この本には、イスラム世界に詳しい識者からの寄稿文も掲載されているという。


風刺画を理解してもらうためには風刺画に詳しい専門家の見解を載せるのが妥当ではないだろうか?


出版社側は、この本を出版した理由を「議論を深めるため」と述べている。しかし、巻頭でムハンマドの風刺画そのものを批判し、フランス(西洋文化)の専門家よりもイスラム教の専門家に意見を仰ぐということは、結論ありきで書かれたことになり、議論など深まるはずがない。


掲載した風刺画48点を最初から批判するつもりで選んだのであれば、それらはすでに存在する誤解を助長するだけだと私は思う。


ムハンマドの顔にモザイクをかける前にも後にも、イスラム教徒からは抗議が来ているという。


風刺画も風刺画家も読者もイスラム教徒も、すべてを侮辱しているであろうこの本は、誰のためにも何のためにもならない。


考えられる唯一の得といえば、この本がことのほか売れて、出版社が儲かることくらいだろう。


単なる売名行為だとしたら、お粗末すぎる。









 フィガロ紙がさっそく関連記事を掲載 ↓

http://www.lefigaro.fr/flash-actu/2015/02/10/97001-20150210FILWWW00209-japon-un-livre-pour-expliquer-charlie-hebdo.php

記事では、日本にはシャルリー・エブドに相当する風刺新聞が存在しないこと、そして原発事故をネタにしてはならない風潮があることなどを紹介した上で、

「本というよりは“ミニ雑誌”に近いこの書物は、イスラム教徒などを憤慨させそうな風刺画に多くのページを割いている。」

と、この本の偏った内容を批判している。





追記:3月11日、同記事がネット新聞・日刊ベリタに掲載されました。

http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201503112107253



2015年1月29日 (木)

やっと手に入れた!シャルリー最新号、その中身は?

ついに手に入れました!




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シャルリー・エブドの最新号!!!


入手したのは先週の土曜日。ちょっと遅れてしまいましたが、これを報告しないわけにはいきません。


発売から10日間、待てど暮らせどお目にかかることができなかった、この号が、土曜日の朝、キオスクに平積みにしてありました(笑)


各キオスクに3部あればいいほうだったシャルリー・エブドが、こうして平積みになっているのを見ると、今度は「700万部は刷り過ぎなんじゃ・・・」と余計な心配をしてしまいます。


前代未聞の発行部数は供給側にも混乱をもたらしたようで、今まで使っていた用紙のストックがなくなり、途中から一段階上等の紙で刷らざるを得なくなったという話もあります。写真ではわかりづらいですが、私たちが買った最新号は、今までに比べると白さを増して光沢のある紙になっています。




さて、肝心な中身ですが、当然、“テロリスト&イスラム国ネタ”が大半を占めていて、その次に多いのが、370万人の大行進を揶揄するもの、2,3面全面にはシャルリー・エブドの精神の一つである政教分離特集、そして、犠牲になった風刺画家たちの昔の作品や未公開作品などが掲載されています。


毎週水曜日は必ず会議に出席していたのに、あの日はたまたまお葬式に出ていて難を逃れたメンバーの話や、その場にいて生き残った犬の話など、笑いを挟みつつ読み応えのある記事(≠風刺画)も多数。




そんな中、私の一番のお気に入りは・・・







この風刺画 ↓





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「そのころバングラデシュでは」というタイトルの下で、4人のバングラデシュ人らしき縫製工員が、「Je suis Charlie」と印刷されたTシャツを縫っています。そして、そのうちの一人が、満面の笑みで「大いに共感!」と言っています。


描写だけだと、「なんだよ、バングラデシュも馬鹿にしてるのかよ」という声が聞こえてきそうですが、もちろん、そういう意味ではありません。


バングラデシュといえば、ここ十数年、ファストファッションメーカーの多くが懲りずに縫製を依頼していることで有名。テロ以降、フランスではさっそく「Je suis Charlie」と印刷されたTシャツが売られるようになりました。そのために使用された無地のTシャツはバングラデシュ製の可能性大。


この風刺画を深読みすると・・・


フランスが傷ついて一つになっているときに、バングラデシュの縫製工たちは、いつもと変わらず縫っている。民主主義もへったくれもない国で、「Je suis Charlie」の意味さえわからない人たちが、健気に縫っている。そうして大勢でひしめき合って縫っている姿は、パリの大行進に似ていなくもない。一丸となって何かをしているという意味では、彼らは「大いに共感」できるように見えなくもない。ただし彼らの置かれている現状はフランスのそれとは似ても似つかない悲惨なもの。工場で火災が起きたり、崩壊したりして、何千人という死者を出した後も、先進国では安価な服が売られ続けている。先進国にこき使われる発展途上国の縫製工たち。本当に労働環境は改善されたのだろうか?そういえば今バングラデシュはどうしているのだろう・・・


この風刺画のすごいところは、作者であるCatherineが、フランス人が結束する様子をみて、地球の裏側にあるバングラデシュに思いを馳せたこと。そして、私たちにその存在を思い出させてくれること。


ついつい笑ってしまう絵や言葉の奥には、解釈できることが連想ゲームのように連なっていて、思わず考え込んでしまいます。上記の解釈以外にも、“バングラデシュはイスラム教徒が主体の国なのに、フランスの側にいるよ、まぁ実際はこき使われているだけなんだけどね”というような皮肉でもあると思ったのですが、旦那さんに「そこまで深くないと思う」と言われました。皆さんはどう思いますか?







同じCatherineの絵で、もう一つ笑ってしまったのが、これ ↓




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シャルリーのために結束した人々(シャルリー現象)、今後は?というタイトルの下で、フランス人らしき3名が他紙を手にしながら、そのうちの一人が「今後は?って何が?」と言っています。


追悼集会に370万人も集まって、最新号は700万部も刷ったけど、どうせ一過性のものでしょ。みんなもとの生活に戻って、以前読んでいた印刷物を再び手にとって、シャルリー・エブドには見向きもしなくなるでしょ?


というCatherineの声が聞こえてきそうなこの絵。元来無情な人間(というよりフランス人?)の姿が冷めた視線で描かれています。






最後に、最新号の表紙画で良くも悪くも有名になった、Luzの作品をご紹介。




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ページの片隅に細長く描かれた絵。犠牲になった同僚の“描く姿”が、絵と文章で綴られています。


これは解説なしでもわかると思うので、以下に日本語訳を載せておきます(フランス語が分かる方は、画像を拡大して読んでください。) ↓



子供の頃、僕たちはの絵を描いた。おかしな大人の世界を理解するために、そして自分のことを知るために。誰にでも子供の頃はあって、誰もが一度は絵を描いた。

成長して、大人になったはずなのに、未だにわからないことはあって、そのうちの何人かはの絵を描き続けている。

国境や宗教、象徴を理由に相手を殺そうとする人がいるのは何故だろうと思ったとき、彼らはの絵を描く。存在しないはずの神を信じて疑わない人がいるのはどうしてだろうと思ったとき、彼らはの絵を描く。

の絵を描いてはならないと言われる理由がわからないときも・・・

やっぱりの絵を描く。の絵を描くのは無責任だと言われても、の絵を描く。もっともだ。

このおかしな世界がの絵を見ることを拒んでも、それがおかしな世界であることに変わりはなく、彼らは描き続けた。その日が来るまでは・・・


・・・と思いきや、再び人々が現れた。

「私はシャルリー。路上に集まった数百万人の人々です。」


いつまで続くかな?”









次の発売日は、2月4日、来週の水曜日。今からとっても楽しみです。





※訂正: 次回発売日は2月25日の間違いでした。失礼しました。














2015年1月27日 (火)

コメント欄の暴言、そして・・・

3つ前の記事のコメント欄(※)で神経をすり減らしたせいか、膀胱炎に罹ってしまいました(爆) (※なんのことだかわからない方は、こちらの記事のコメント欄を読んでください。)

http://mafrance.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-80aa.html


膀胱炎なんて、日本で生活していたとき以来のこと。


記事についた暴言を全然気にしていないかのようにコメントを返してきましたが、最初の3件で弱らされ、次の3件で一時的に救われ、その次の2件でとどめを刺されました。


しかもこれ、後からずしずし来ます。


一つの記事が気に入らないからというだけで人格やブログそのものを否定するとか、人の経歴を勝手に想像して批判するとか、話が飛躍しすぎて話にならないとか、いくらなんでも度がすぎます。


「他人を傷つけてはならない」と言っている人たちが、もう一方では平気で暴言を吐いているのも矛盾している。


反対なら反対意見を言うだけで言いのに、一言癪(しゃく)に障ることを付け加えないと気がすまないのは、なぜなのでしょう?


彼らとは恐らく理解しあえないだろうと思ったので割り切って返事をしたわけですが、私が平然と答えれば「こんなこと言われても平気なの?だからシャルリー・エブドを擁護するんだね」と思う人がいるだろうと考えたり、暴言を指摘すれば「ほらね、傷つくでしょ?」と言う人がいるだろうと思ったり、日本人の反応を想像すればするほど何を書いても批判されるような気がして、悶々としていました。


この記事も書くかどうか迷いながら、膀胱炎にまでなって(約8年ぶり!)それこそ何事もなかったかのように次の話題に移ることはさすがの私もできなかったので、書くことにしました。


これを読んで、ざまぁみろとか思っている人がいるかもしれないし、そういうことを想像してしまう自分にも嫌気が差します。


ご存知の方もいるかと思いますが、このブログは一年以上前に自民党に探られています。その時は最初のインパクトのほうが強く、日がたつにつれて怖いと感じることも減っていきました。それに比べて、この暴言のオンパレードというのは、前述したように、後味が悪い。こうして書いているうちに、楽になってきているのは確かですが、今後も時々思い出してしまうのは必至です。


私とは置かれている状況がだいぶ違いますが、自民党からのプレッシャーを受け、視聴者や読者のクレームに日々怯える日本のメディアは、今はもう救いがたい心理状態にあるのかもしれないと思ったりもします。



それはさておき・・・

今回のテロから始まった一連の出来事で、フランス人と日本人の根本的な考え方の違いが露呈したことは、ある意味よかったと思っています。


これをきっかけに色々と考えるようになったという人は多いだろうし、私個人に関しては、日本よりフランスのほうが居心地がいい理由を再認識することができました。


シャルリー・エブドについても、以前は旦那さんが買ったものを横から覗き見るくらいだったのが、メディアで取り上げられ、自分でも関連記事を探して読むうちに、今まで知らなかった魅力を発見したりして、益々シャルリー嫌いの人たちと分かり合うのが難しくなりそうです(笑)


ただやっぱり気になるのは、シャルリー・エブドの風刺画が自分の許容範囲にないからというだけで、シャルリー・エブドやフランスそのものを全否定する日本語のツイート等が散見されること。


歴史的背景や文化が違えば考え方も当然変わってくるのに、それを追求しようとしないのは、やはり残念だとしか言いようがありません。









2015年1月23日 (金)

「宗教への批判は絶対の権利」 B-H Lévy (朝日新聞 より)

二つ前の記事のコメント欄で日本のメディアを批判したばかりですが、


日本語でもやっと、シャルリー・エブドに関するまともな記事が出ました。




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(※これ ↑ は単なる画像です)



書いたのは、朝日新聞の富永格氏。


パリ在住の富永氏がフランス人小説家・Bernard-Henri Lévy(ベルナール・アンリ・レヴィ)に話を聞いたのをまとめた記事で、シャルリー・エブドの風刺画が法的になんの問題もないこと、そして追悼集会に370万人が集まった理由などが、とてもわかりやすく説明してあります。


そして、その後に、レヴィ氏とは全く別の視点で語られた、同志社大学の内藤正典氏の見解も載っています。私は同意したり、「それは違うな」と思ったりしましたが、興味深いことに変わりはありません。


ただし、この記事は会員にならないと読めません(汗)


なんでこんな大事な情報を有料記事にしちゃうんだろう・・・


ちにみに、無料会員に登録すれば、一日3本まで有料記事が読めます。(ってなんで私が宣伝してるんだ(笑)


どちらにせよ、時間のある方は、登録して(すでに登録済みの方はそのアカウントで)、是非読んでみてください ↓




http://digital.asahi.com/articles/DA3S11559549.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11559549








2015年1月18日 (日)

シャルリー・エブドがムハンマドを描き続けるわけ

シャルリー・エブドが襲撃されてから10日が過ぎました。

事件の余波は続いていて、キオスクには、10日たった今も、最新号を買おうとする人々が早朝から列をなしています。

一方で、日本では、なぜかシャルリー・エブドに批判的な意見が広がり、同じ日本人として新たなショックを受けています。

残念なことに、それらの反対意見の多くは「ただの挑発行為に過ぎない」と一蹴し、シャルリー・エブドがあたかもレイシストであるかのように蔑む人まで出てきました。


シャルリー・エブドはなぜムハンマドを描きつづけるのか。

本当の理由を日本人に知ってもらいたいと思い、私なりにまとめてみました。

なんとなくでも理解してもらえれば嬉しいです。








シャルリー・エブドがムハンマドを描き続けるわけ



テロ以前は週数万部を売るのが精一杯の弱小新聞社だったシャルリー・エブドが、テロの標的になったことで、世界中の注目を集めることになった。

世の中のおかしいことを風刺してきた小さな新聞社が、一夜にして有名になり、賛否両論入り乱れる議論の的になったわけで、ミイラ取りがミイラになったとは、まさにこのことである。

ネット上では、問題視されている複数のムハンマドの風刺画が飛び交い、日本では、原発事故を風刺した絵も再び散見されるようになった。

でもここで一度考え直して欲しい。

シャルリー・エブドは、ムハンマドや原発事故ばかりを風刺していたのではない。彼らは政治家から残忍な毛皮産業にいたるまで、ありとあらゆるテーマを風刺している。それなのに、そのごく一部だけに焦点があたり、批判されてしまうのはあまりにも理不尽だ。

また、彼らの風刺画は、フランスの、またはフランス語を解する読者に向けて描かれている。そして、その他大勢の「絵を見ることはできるけれど書かれている言葉はよくわからない」という人たちは対象外である。

ここにきて、“絵柄”ばかりが一人歩きするようになったが、風刺画はただの絵ではない。絵の中の文字も含めて風刺画である。それを“絵柄”だけみて解釈すれば、もちろん誤解が生じてしまう。

今回のテロも、日本人の勘違いも、原因はここにある。

最新号の表紙画の意味は、前回の記事(翻訳家の関口涼子さんのコラム)で紹介したので割愛するとして、ここでは別の例を取り上げたい。

以下の風刺画をご存知の日本人は多いと思う。






Cabu_monfort




腕や脚が3本あるやせ細った2人の人物が相撲を取ろうとしている。審判らしき2名が重厚な防護服に身を包んでいる。そしてフランスで最も有名なスポーツジャーナリスト、ネルソン・モンフォールが「素晴らしい!FUKUSHIMA(原発事故)のお陰で、相撲がオリンピックの正式競技になりました。」と満面の笑みを浮かべながら言っている。

これは、犠牲者の一人でCABUという風刺画家が、東京が2020年のオリンピック開催地に決定した直後に描いた。そして日本政府の反感を買った。菅官房長官は、「被災者を傷つける」として遺憾の意を示したが、この風刺画の矛先は、被災者ではなく、菅官房長官を含む権力者に向けられている。

この風刺画には、“原発事故がまだ収束してないのに、オリンピックの開催地を福島にそう遠くない東京に招致するなんて無神経だよね。そんな無神経な政府のもとでは、国民は大切にされていないよきっと”、というようなメッセージが込められている。

そして、この絵の中で、フランス人の読者が一番最初に目を向けるのは、やせ細った相撲取りでも、壊れた福島原発でもない、ネルソン・モンフォール(ジャーナリスト)にほかならない。

日本では知る人ぞ知るモンフォールだが、フランスで、彼を知らない人はいない。ハイテンションな実況中継でお茶の間を凍らせるのが“売り”の彼が、残酷に描かれたオリンピックの風景を前にしても相変わらずハイテンションを貫いているところがフランス人の壷にはまる。

モンフォールが誰だかわからない人には、この風刺画の面白さがわからない。

モンフォールを知らない日本人は「この風刺画、酷いね」と言うだけで、それ以上は追求しない。

このようにして、フランス人向けに描かれたものを、フランス語を解しない、またはフランス文化に精通していない人が見ると、全く理解されない。だから、描かれている絵柄だけを見て、勝手に想像して傷つくことは被害妄想以外の何ものでもない。


郷に入れば郷に従え

風刺画のなんたるかを知らない人には、間違った解釈をされることがあるわけだが、シャルリー・エブドはそのことを考慮していない。それは、前述したとおり、彼らの風刺画は、他の出版物同様、フランス語を解する読者にしか向けられていないからである。

では、フランス人に向けて、彼らがムハンマドを描く意図はなんなのか。

それは、移民が増え続けるフランスでは、イスラム教なくしてフランスを語れなくなっているからである。

まず、イスラム教は目立つ。フランス文化との違いが歴然で、イスラム教徒と直接かかわりのない生活をしていても、彼らを身近に感じざるをえない。イスラム教の女性の多くはスカーフを被っており、各地のスーパーにはハラル(イスラム教徒が食べられる食品)売り場が設けられ、ラマダン(イスラム教徒が行う年一回、一ヶ月間の断食)のたびに、各放送局が一斉にとり上げる。

身近にあるだけなら構わない。これが教育現場では、悩みの種となることが多い。

フランスの学校では教室内で生徒全員が給食を食べることはない。校内、または学校の近所にある食堂に行くか、家で食べるか選ぶことができる。当然、食に関して決まりごとの多いイスラム教の生徒は家に帰って食べることが多いわけだが、郊外学習や修学旅行は昼食を持参するか欠席せざるを得ない。もちろん、親が妥協して、与えられるものを何でも食べている生徒もいる。学校側が憂慮してハラル料理を別に作っているところもある。しかし、教職員はそこばかりに気を配っていられない。他にやることは山ほどある。そして時々、間違いが発生し、食べてはいけないとされている豚肉を口にしたことに気づいた生徒がパニックに陥ることがある・・・。教職員はフランスの教育システムとイスラム教の板ばさみにあい、対応に苦悩している。

一方で、イスラム教の生徒たちは、“家の外は違う”ということに、遅かれ早かれ気づく。早い場合は保育園や幼稚園でそれに気づく。特にクリスマスの時期になると、他の子供たちがプレゼントを楽しみにしている傍らで、彼らはそれを“外のイベント”として傍観しなければならない。公現祭や復活祭も同様。そうやって、少しずつ疎外感を覚えていく。その疎外感が葛藤の原因となり苛立ちに変わり、その矛先が教師や他の生徒に向かうこともある。

大人になった彼らは、再び自分たちの殻に閉じこもり、その子供たちも同じ道を歩む。

私たちが彼らを受け入れようとしても、イスラム教の教えを守りながらフランス社会にとけ込むにはどうやっても限界がある。

妥協して同化しているイスラム教徒は少なくない。しかし、その逆もしかり。

フランス政府はこれらの問題を極力避けてきた。

だからシャルリー・エブドはムハンマドを描く。ムハンマドの教えに翻弄される、滑稽なフランス社会を風刺するために、ムハンマドを描く。ムハンマドの風刺画には、テロが頻発する世界情勢に加えて、この現状に警鐘を鳴らす意味も込められている。



彼らは変わらない

平和を愛し、反核・反戦を掲げ、エコロジストでもあるシャルリー・エブドの面々は、この世の中が少しでもよくなるように願っている。

彼らは、国や国民が避けて通ろうとする問題を題材にする。うまくフランスに馴染めないイスラム教徒たちに興味を示し、増え続けるテロの脅威に警鐘を鳴らすために、ムハンマドを描き続ける。

ムハンマドを描き続けることは、おかしいと思ったことをおかしいと言い続ける勇気を意味する。

「描くな」と言われて描くことをやめてしまえば、服従することになる。一度服従してしまえば、そのうち、偶像崇拝以外の禁止事項(禁酒・禁煙等)を強いられ、あっという間に支配される。

そもそもが、偶像崇拝が禁止されているのはイスラム教徒であり、フランスにそんな法律はない。

イスラム教では、イスラム教徒以外は全員“地獄”に落ちるとされている。

シャルリー・エブドはもちろん、フランス国民の多くはそれを信じない(日本人も信じないはずだ)。それと同じように偶像崇拝がどうのこうのも、イスラム教を信仰していない私たちには無関係だ。

フランスにおいて、フランス語でムハンマドを風刺することは、彼らシャルリー・エブドにとって、当たり前のことなのである。










2015年1月15日 (木)

シャルリー最新号の誤訳 

シャルリー・エブド最新号の表紙が世界中で物議を醸していますが・・・




Charlie_luz






あろうことか、読売新聞が風刺画の文章を誤訳してしまったようで、翻訳家の関口涼子さんが間違いを指摘されています。

これ以上、シャルリー・エブドに対する誤解を広げないためにも、みなさん、拡散してください ↓ 以下、関口さんのフェイスブックより。全文はこちらから(←読み応えあります。時間のある方は、是非こちらを)


http://synodos.jp/international/12340




明日出る「シャルリー・エブド」の最新号には、預言者ムハンマドと解釈されるような人が「Je suis Charlie」と書かれた紙を掲げ、涙を流しています。その上には「Tout est pardonné」と書かれています。
これを、預言者ムハンマドのイメージであるとして読んでみましょう。
今日読売新聞の夕刊記事には「全ては許される」という翻訳がつき、何でもありだ、という、言論の自由(というか「勝手」)を示したものだとされていますが、まったく反対の意味です
「全てが許される」であればTout est permis でしょう。「許可」の過去分詞であるPermisと異なり、Pardonné は宗教の罪の「赦し(ゆるし)」に由来する、もっと重い言葉です。
と同時に、「Tout est pardonné」は、口語表現でもあります。
たとえば、放蕩息子の帰還で親が言う言葉、または、あるカップルが、深刻な関係の危機に陥ったとしましょう。長い間の不仲の後、最後に、「いろいろあったけどそれは忘れよう」というときに使われます。
これは、単なる喧嘩の後で使われる言葉ではありません。長い間の不和があり、それは実際には忘れられることも、許されることも出来ないかも知れない。割れた壺は戻らないかも知れない。それでも、この件については、終わったこととしようではないか、という、「和解」「水に流す」というきれいな言葉では表しきれないニュアンスが入っています。
画面上この文章は、預言者ムハンマドが言ったとも取れますし、シャルリー・エブド側の言葉とも取れます。つまり、複数の解釈を許しているのです
預言者ムハンマドが言ったとすれば、それは、「君たちの風刺・または思想をもわたしは寛容に受け止めよう」ということであり、シャルリー・エブドの側としては「わたしたちの仲間は死んだ。でも、これを憎悪の元にするのではなく、前に進んでいかなければならない」ということを意味するでしょう。
それから、預言者ムハンマドが「私はシャルリーだ」と書かれた紙を持っていることが重要です。これは、単に、預言者も自分たちの味方だ、ということを言いたいのではありません。
「シャルリーが殺されたとき、自分(モハンマド)も死んだのだ」、つまり、宗教の名の下に、暴力の行使によって相手の制圧をしようとすれば、あなたたちが信じていると思っている宗教もまた死ぬのだ、と、このムハンマドのイメージは、犯人たち(または犯人と意見を同じくする者たち)に訴えかけているのです。
このデッサンに描かれたふたつの文章を決してないがしろにしてはいけません
読売新聞の記者は、このデッサンに「自分が読みたいことを読んだ」のかもしれない。イメージは曖昧であり、時に自らが含んでいない解釈も許してしまう危険性が有りますが、このふたつの文章の誤訳は疑うまでもありません。
これは、解釈の違いではなく、翻訳の問題なのです。
Tout est pardonnéを、「全てが許される」と訳すことは、どれだけ意訳の範囲を広げたとしても、出来ないことです。
この誤解が解かれ、記事の訂正が為されることを望みます。









 

2015年1月12日 (月)

大行進中にシャルリー(爆笑)の神様が降りてきた!!

歴史的大行進から一夜が明けました。


今日、パリは世界の首都となった」という、オランド大統領の宣言で始まった大行進には50を超える国や地域の首脳や閣僚、そして120~160万人の市民が参加。


歴史に残る、感動的な日であったのは確かですが・・・


この日は“シャルリーの神”が降りた日でもありました。


まずは、行進開始前。


世界が団結している様子を見せたかったからかどうなのか、集まった首脳や閣僚を一台のバスで移動させるという、前代未聞の試みを慣行したフランス政府。


当然、“演出”に無理があったようで、普段はリムジンで移動している首脳や閣僚が、停留所でバスを待つ一般人のように並び、更には数が多すぎて数人がバスに乗れずに置いてきぼりをくらう、というハプニングが発生してしまいました。


その一部始終は生中継で世界中に放送され、感動に浸る予定のお茶の間(※)が笑いに包まれたのは言うまでもありません。(※少なくともフランスの)




その次に“彼”が降りてきたのは、残されたシャルリー・エブドの同僚や遺族に、オランド大統領が慰めの言葉をかけていた最中。


奇跡的に生き残った風刺画家の一人で、オーランド大統領を度々風刺しているLUZ(リューズ)の側に大統領が歩み寄った瞬間・・・


なんと、鳥の糞が大統領の右肩に落ちたのです!


カメラにはっきりと映ったわけではないこの“事件”


発覚したわけは・・・



オランド大統領と言葉を交わし終えたこの3人 ↓ が、笑いをこらえるのに必死だったから!






Luz_5185549



前列左3人。真ん中でハチマキをしているのが
LUZ。(LUZの肩に顔を埋めている女性も、泣いているのではなくて笑っているらしい 笑)




Oluzcharliehebdofrancoishollandegua


大爆笑のLUZ(笑)大統領は全く気づいて(気にして)いない!




今朝、ラジオ出演したLUZはこの事実を認め、「こんな時に笑わせてくれて、大統領にはいつでもシャルリー・エブド社に顔を出して欲しい。これ以上の冗談はない。一気に悲しみから解き放たれた気がする。」と心境を吐露。


LUZのパートナーもツイッター上で「オランド最高!私たちを爆笑の渦に包むなんて」と、気分が晴れた様子を公開。


鳥の糞なんて、屋根のないところにいれば、どこにでも落ちてくるわけですが、こともあろうに、大統領を何度もネタにしている風刺画家の前で、絶妙のタイミングで落としたこの鳥は“神”だと言っても過言ではありません。


そしてもちろん、その糞を落とされ、気づかない様子の大統領も素晴らしい。


普段、間抜け且つ天然ぶりをメディアで揶揄されている大統領ですが、女性に受ける理由も、きっとこれなんだと、妙に納得させられました。


この件に関する記事についたコメントの中には、「(フンを落としたのは)鳥じゃなくてCharb(※)」なんていうのもあって、また爆笑。 (※ 犠牲になったシャルリー・エブドの編集長)



これだからフランスはやめられない!












証拠のビデオ ↓

http://www.huffingtonpost.fr/2015/01/12/manifestation-charlie-luz_n_6452662.html



ラジオ番組でそのときの様子を語るLUZ (肝心の話は最後に出てくる) ↓

http://www.rtbf.be/info/etcetera/detail_luz-hollande-je-veux-le-garder-parce-qu-il-nous-a-fait-rire?id=8759521













2015年1月11日 (日)

Charlieの集い、そして反発するイスラム教徒たち

1月9日、我が県庁所在地のCharlie Hebdo追悼集会に参加してきました。


霧雨が舞う中、集合場所の広場に到着してびっくり!


日本なら「街」というより「町」に近い、人口5万人強の「まち」に、なんと、2200人(※)も集まっていました! (※翌日の地方新聞記事より ↓)





2200_personnes





広場は人と「Je suis Charlie(私はシャルリー)」のプラカードで埋め尽くされています。



Dscn8737






待ち合わせに遅れて来るのが当然のフランス人たちが、意気揚々ときっかり時間通りに現れる。


大人になっても私語を慎めないフランス人が、静かにそこに佇(たたず)んでいる。


マルセイエーズ(国歌)がどこからともなく聞こえ、大合唱になる。


電車やバスなどの公共交通機関では我先に乗ろうとするフランス人たちが、献花をするため、ロウソクをともすために自分の番が来るまで待つ。


広場には、いつも息子の幼稚園で顔を合わせるママたちもいて、言葉を交わさずともお互いが笑顔ですれ違う。(普段は笑顔を見せないママたちは結構多い 笑)


感動




ここまで結束するフランスは見たことがありません。


もちろん、人口比で言えば、デモに参加しない(またはできない)人のほうが多いわけですが、参加しようという意欲を持った人が何十万人もフランスにいると考えただけで、この国の心理的結束力に感心させられます。


1月11日現在、これを書いている横で、テレビがパリを始めとするフランス各地、更には世界各地の集会を生中継で映し出しています。


夕方5時半の速報によると、パリでは60名の各国首脳が集結し、100万~300万人(!)のパリジャンが大行進しているそうです。


地方都市でも、リヨン : >20万人(人口の3分の1という報道もある)

         マルセイユ : 6万人

         グルノーブル : 6万人

         サンテティエンヌ : 6万人

         クレルモン・フェラン : 5万人 

         ストラスブール : 4万人


が集まっているという、前代未聞の数がメディアで飛び交っています。





一方・・・


ネット上では、一部のイスラム教徒が「Je ne suis pas Charlie(私はシャルリーではない)」と反発しています。


教育現場でも、一分間の黙とうを拒否した生徒たちがいました。都市の郊外ではその数は激増し、黙とうができなかったクラスや学校があったそうです。


ブザンソンの郊外も同様で、テロ当日の夜には、テロを祝福する花火があがったという記事が地方新聞に載っていました。


彼らとは別に、イスラム国などの戦闘員になるためにシリアに向かったフランス人は、昨年11月の時点で1132人

http://www.lexpress.fr/actualite/societe/pourquoi-y-a-t-il-tant-de-convertis-parmi-les-djihadistes-francais-de-l-etat-islamique_1624282.html


フランス国内でブラックリストに載っている要注意人物は、延べ5000人。



今回の事件は収束したけれど、フランス社会に蔓延る闇は想像以上に深い。


フランスのイスラム系移民の多くは、移民街で肩を寄せ合って生活しています。


フランスに対する憎悪は世代を超えて、代々受け継がれるとも言われています。


フランスの文化を敢えて受け入れず、それでもフランスに住み続ける移民たちの成れの果てが今回のテロなのでしょう。


去年、フランスにおいて実行に移されなかったテロは、(政府は数を公開していませんが)一つや二つではありません。


私たちは今後、彼らとどう接していくべきなのか。


教育現場にいる旦那さんを始め、フランス中が考えていかなければならないことです。











Dscn8711

広場の中心に立つ塔に手向けられる花、メッセージ、ロウソク・・・




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犠牲者の名前で、縦に「Charlie Hebdo」と並べた粋なメッセージ




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日本語に訳した私たちのプラカード。ほかにも日本人がいるかと思って期待して行ってみたけれど、日本人どころかアジア系さえいなかった・・・




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フランシュコンテ、フランス、欧州の半旗の前にて。












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